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(8)マヤ文明探訪-メキシコ9日間- (2006.8/24-9/01) -ツアー申込み-     2006.9/02遊悠人

  
   マヤカレンダー        パカル王のヒスイの面/パレンケ        宇宙船を操縦する神官?/パレンケ         

今回は念願の中米メキシコに入ります。昨年この時期は米国グランドサークルを巡っていましたが、その続きと
なります。オルメカ、アステカ、そしてマヤなどの世界遺産6ケ所が舞台です。メンバーは昨年と同じ3名です。
そこには数々の不思議な遺跡群と宇宙人との繋がりを大いに感じさせてくれるものでした。

8/24(木)DL96便15:30発は夏休みということもあり満員です。12時間のフライトでアトランタへ、そこで
一度米国に入国手続きをしなければなりません。接続待ちが約4.5時間ありこれが少々つらいところ。
さらにデルタ251便で3時間、やっとメキシコシテイです。到着は22時を回りホテルへ直行します。

8/25(金)今日はチャーターした10人乗りのバン貸切りで、日本語のガイドを頼んであります。
 まず、人類学博物館へ。ここにはメキシコのほぼすべての文明が部屋ごとに展示されています。今回は
パレンケの碑文の神殿から発見されたパカル王の石棺の蓋(一枚岩で重さ5t)に描かれたレリーフを見に
来たのです。ただしそれはレプリカなのですが、本物はかの神殿の中にあり、現在入室禁止で見ることが
できません。なんとそこにはマヤの神官が宇宙船を操縦しているかのようなレリーフが彫られているの
です(上右)。しかもこれは7世紀の頃の話です。またヒスイの面太陽の石「アステカ・カレンダー」があります。

 その後、ソカロ広場のメトロポリタン・カテドラルやグアダルーペ寺院に寄りテイオテイワカン遺跡へ。現在、中央のレフォルマ通りや
ソカロ広場周辺は選挙を巡り、反大統領派による抗議デモで交通不能となっています。

テオテイワカン遺跡 紀元前2世紀頃アステカ人によって建造されたメキシコ最大の宗教都市国家。4〜7世紀
 を頂点に繁栄し、8世紀頃謎の滅亡を遂げる。

 太陽のピラミッド エジプトのクフ、カフラーに次ぐ世界で3番目に大きいピラミッドであるが、あまりに平べったく
  私にはダムの一部のようにしか見えませんでした。高貴さにはやはり角度が重要です。
 月のピラミッド 大きな宗教儀礼はすべてこちらで行われていたようです。
 死者の道 月のピラミッドからほぼ南に広く長く続いており、その両側には太陽のピラミッドやケツアルコアトルの神殿
  などが並んでいます。

夕刻は市内レストラン(フォンダ・デ・レクエルド)で民族音楽を聴きながらメキシコ料理を食べる。
レストランは子供づれが多いにもかかわらず、とても騒々しく賑やかです。毎夜雨が降り、高地のせい(2500m)
で結構寒いものでした。

8/26(土)5時半ホテル発、7:40アエロメヒコ航空でタバスコ州都ビジャエルモサへ。1.5時間。180人乗りに1/3程の搭乗率。
 日本人はいない。途中、雪を被ったコニーデ型の火山が見えたが、5699mのオリサバ山と思われる。
11人乗りのバンで迎えてくれたのは33歳ほどのドライバー兼ガイドのガブリエル。にこやかなメスチゾ(スペイン人とマヤ
の混血)だ。ここからは英語とスペイン語での案内となります。熱帯特有のヤシの木とこのあたり一帯は湿原
地帯。

まず、ラ・ベンタ野外博物館へ、ここはオルメカの巨石人頭像が数体ある。顔はアフリカ系ネグロのよう。
高さ2m、重量は20トンもある。これらは紀元前1200〜400年にかけて造られたといわれます。アステカは
メキシコでは最も古い文明であり、後のマヤ文明に大きな影響を与えています。


オルメカの巨大人頭/ビジャエルモサ      マヤアーチと魔法使いのピラミッド/ウシュマル       天文台/ウシュマル

その後2時間でマヤのパレンケ遺跡に入る。ここはパカル王を頂点とするマヤ文明の一大中心地で、ここから
東へウシュマル、チチェン・イツァーへと拡がっていく。広大な城を思わせる遺跡群、緑の芝が眩しく、きれいに
整理されている。「頭骸骨の神殿」、そしてパカル王の墓室のある「碑文の神殿」(かの宇宙船のような石蓋が
ある、4層からなる「宮殿」、「太陽の神殿」、「十字架の神殿」と続く。天井部はマヤ独特のアーチ構造をとっている。

8/27(日)8:00発、パレンケからざっと5時間近く走ります。周りはずっと牧場が続きます。思ったよりきれいに
整備されており、ジャングルのイメージは全くありません。田も畑もほとんど見かけない真っ直ぐな道。
そして突如現れるメキシコ湾の強烈なエメラルドグリーン。ペリカンがいっぱい泳いでいます。ほどなくカンペチェへ到着。

カンペチェ:メキシコ湾を望むスペインによって最初に造られた要塞都市。町は全長2.5kmの城壁と7つの砦に
 囲まれ、ソカロを中心にコロニアルな美しい街並が続いている。ここも世界遺産である。
 夕刻になると日曜のため広場で歌や着飾った子供たちの踊りが繰り広げられ、週末はとても賑やかです。
 夕食は広場に面したレストランで。予算は通常一人ビール込みで100ペソ前後(1200円)のようです。

8/28(月)まずカバー遺跡:chaccと呼ばれる雨の神が壁一面に施された仮面の神殿ととても広い芝生の緑が
 印象的。ウシュマルまで12km続く街道のアーチ門が崩れず残っている。次いでウシュマルへ。

ウシュマル遺跡:独特の丸みをもった「魔法使いのピラミッド」はまるで小人たちが住んでいるかのよう。
 尼僧院総督の宮殿など、マヤ独特のプーク式建築とおびただしいチャック神、羽を持つ蛇神ククルカンも
 ここから現れる。他にグラン・ピラミッド、鳩の家、亀の家、そしてたくさんのイグアナに驚かされる。

 ここからメリダまで1.5時間。かつて黄熱病の研究で滞在した野口英世の銅像が残っているオーラン病院に寄り
ホテルへ。いつもながらまずはプールでひと泳ぎして街へ。オープン・レストランで食事をしているとなにやらパレード
がやってきた。地元メリダの野球チ-ムが優勝したのだそうな。ソカロでは今日もフェスティバルで騒いでいる。

8/29(火)今日はマヤ最大の遺跡、チチェン・イツァーへ。

 ここはユカタンにおける最大の都で、宗教、芸術、経済の中心だった。その中心をなす「ククルカン神殿
(エル・カスティージョ)
は四方に91段の階段を持つピラミッドである。91段×4面+1(屋上)で365日を表す。春分・
秋分には影がいかにもククルカンが降臨したように現れる仕掛けとなっている。内側に小さな神殿が内包し
(入室不可)、チャック・モールとヒスイの目を持つジャガー像があるという。隣の「戦士の神殿」は石柱群に取り囲まれ、
上段には生贄の心臓をおいたチャック・モールが虚空を見つめている。

他に「カラコル」と呼ばれるドーム型の天文台や球戯場(サッカーのような競技が行われ、勝者は心臓を抉り取られ、
チャック・モールに祭られた)がある。ここにもたくさんのイグアナが。

そして、最後に聖なる泉セノテへ。石灰岩の大地にポッカリと空いた丸い穴、静かに湛えた緑の水。雨乞いや
疫病が流行すると生贄や財宝が投げ入れられたという。

ビュッフェの昼食後、カンクンに向かう。途中、まさにバケツをひっくり返したようなスコール。また回りの木々は
昨年10月のハリケーン「ウィルマ」にやられ、立ち枯れが目だつ。相当すごいハリケーンだったようだ。


   メリダのソカロ           チャックモール/チチェン・イツア          聖なる泉セノテ/チチェン・イツア

カンクン:カリブ海最大のリゾートである。砂州の上に名だたるホテルがズラリと並ぶ様は壮観。たとえれば
 ゴールドコーストのよう。カリブの海はとても穏やかで、その色はとても美しいカリビアン・ブルー。ただやはり昨年の
 ハリケーンの影響で修理中のホテルが目立つ。

 今晩のホテルはベッドが5ツもある広い部屋。すぐ目の前はビーチ。フロントにバッグを忘れ、あわてて引き返す。
 ここでガイドのガブリエルとお別れ。彼は自宅のあるメリダに戻っていった。

8/30(水)午前中はプールでくつろぐ。
 午後、カンクン空港からデルタ便でアトランタへ。乗り継ぎのため1泊するのだ。機中でカンクン空港のチェックイン時、
アトランタから成田へのチケットを返してもらわないのに気付く。Eチケットなので特に問題にはならかったが、
なんという失態。
 アトランタ空港はデルタの拠点だけあってさすがに広いが、荷物の受取等初めてだと非常にわかりずらい。
またデルタの職員もサービスレベルが低いようだ。頭にくることしきり。自分がグローバル・スタンダードと思っている
アメリカ人は始末に悪い。

8/31(木)昨夜は強力なカミナリが近くに落ち、ホテルは5時間ほど停電。今日の出発がどうなることかと思ったが、
空港は問題なくホッとする。ホテルのシャトルバスで空港へ。チェックインも思ったよりスムーズに済んだ。

13.5時間かけ成田へ帰着。今回は特に辛苦了! 総予算33万円程。

感想1.メキシコ人はとても気が優しく(simpatico)、そして親日的
   これは気候的に恵まれたせいで、他と争う必要がなかったせいだろう。マヤにそもそも戦士はいなかった。
  2.ユカタン地域は想像してた深いジャングルはなく、牧場やコーン畑などに区画・整理され利用されている。
   またほとんどフラットな地域で山がないし、川もない。
  3.果物・ビールはとてもおいしかったが、料理はイマイチ。
  4.英語はあまり通じない。
  
5.ユカタン地域は雨が多いにもかかわらず、カルスト(石灰質台地)のため、ほとんど水が地中に滲みこんで
   しまい、あれだけ多くの雨神chaccを祭ったようだ。ただ地下には膨大な地下水が貯まっていると想像する。
   ここでは古代のエジプトや北アフリカとは対照的に、緑豊かだった広大な地域が砂漠化し、人口の集中化=
   文明の発達が興らなかった。(砂漠化は川の周囲に人を集中させ、文明が起こる一大条件である)
   よって多くの遺跡が広い地域にバラバラと点在している。

  6.マヤの遺跡はいろんな文明とのつながりを考えさせられる。エジプトのピラミッドとのつながりはあまり感じ
   なかったが、むしろカンボジアやバリなどアジアとの共通点を感じてしまう。やはりアジアからアメリカへモンゴロイド
   が渡っていった結果なのか?それならもっと途中の米国からそれなりの遺跡が発見されてもいいのだが。
  7.オルメカの人頭はなぜアフリカ系なのか、チャック神の鼻はなぜアメリカにはいないはずの象のようなのか、かつては南極
   を経由してアフリカから南米に渡れたのでは?そしてパレンケの石棺の蓋のロケットを操縦してるかのような
   レリーフは?すぐれた数学や天文学、建築の知識はどこからきたのか、などなど不思議なことだらけ。

  さてこの旅は、来年はヨーロッパに向かいたい。久しぶりのスペインか東ヨーロッパあたりか。
  個人的にはペルーに行っておきたい。



(第43回)中国医療研修−上海中医薬大学(6/18〜23の6日間) 2006.6/25遊悠人
 
     新校舎            付属病院研修(こん法による肩治療)
 
 一指禅法による顔面治療        全聚徳で北京ダックを味わう

 私どもJANALの独自企画として始まった中国医療研修も回を重ね、9年間で43回、約600名の修了生を送り
出してまいりました。修了生の中には診療所の開設はもちろん、整体の学校まで立ち上げ、年に数十名の
学生を中国医療研修に送る方も数名出てこられました。大変うれしいことだと思います。

 今までは、学校・学院単位で募集をしてきましたが、最近は個人参加を望まれる方が増えてきたため、
2名以上であれば、いつでも希望の内容で研修できる体制を整えました。(日程が合えば1名でも可)
狭い日本の現状に満足していてはいけません。ぜひ本場中国の現状を学んでいただければ、と思います。

 なお、今回の参加者は東京から4名と広島から1名、そしてカメラマン2名が同行しました。

受講内容は
   @中医学概論(陰陽説と五行説を体系的に学びます。)
   A推拿理論及び実習(こん法、揉法、一指禅法を中心に、按法、推法、擦法、拿法、揺法、搓法
         抖法、摩法、等)

   B症状別治療法(40肩、首、腹、腰痛、抜伸法等)
   C付属曙光病院にて臨床体験
   D人体解剖(骨格、筋肉、神経、血管、内臓)
修了者にはすべて修了証が渡されました。
今年はあと8回の研修が確定しております。           (ツアー申込み



             
●ネパール/ヒマラヤトレッキングに向かう (ナマステの国)            2006.5/13遊悠人
 
  
マチャプチャレを背に              タメル地区のみやげ屋               スワヤンブナート寺院


今回はヒマラヤのトレッキングに向かいます。ネパールは永いこと政情不安定なため、覚悟を決めて
入国することにしました。5年前ビネンドラ国王が銃乱射事件で暗殺され、その弟ギャネンドラが国王の座に
ありますが、その独裁主義的なやり方はきわめて評判が悪いようです。またマオイスト(毛沢東主義者)が
はびこり、七政党が入り乱れており、今回単独で向かうことにしました。

(4/26) 成田からTG午前便でバンコクへ TGは料金が高いせいか空いています(搭乗率3割ほど)。空港から
タクシーにてワットポースクールに直接向かいます。目的は昨年末からOPENした新校舎見学と担当Iさんといくつかの
打ち合わせです。用件を手短に済ませ、スカイトレインで隣アソーク駅の近く、マンハッタンホテルにチェックイン。このホテルは3★でマアマア
でしょう。朝食はとてもいいが部屋に歯ブラシはありません。夕食に近くの中華系レストランに入ると、隣の
日本人がさっそく話しかけてくる。10日ほどの予定で昨日来たばかりという。一緒に飯を食うことにした。
嫁さんが来れなくなって寂しいとかノタマワッテおる。バカヤロー。この日和見のプチブルめ。
2人でビール込みで850バーツ(1バーツ=3.2円/約2500円)はそれほど安くはない。その後マッサージ店へ。
全身1時間で300バーツ。
                                      (バンコク/スクンビット泊) 

(4/27) TAXIで空港へ、高速経由で250バーツ。TG便は電気系統の故障とかで1.5時間遅れ。ルフトハンザ航空との共同
運行とは、これいかに?ドイツなどヨーロッパ人が多いとは思っているが。時差も1時間15分とはなんとも中途
半端なこと。
 イラワジ川とくねったトカゲのようなガンジスの河口上を突っ切り、3時間程でカトマンズ空港に到着。空港では忘れて
いたVISA取得。US30$と写真が1枚必要だ。表の客引きを振り切り、到着したばかりのTAXIを捕まえ、値段交渉。
300RP(1ルピー=1.6円)というが、そういえば相場がわからない。何のガイドブックも読んでいなかった。暑いし、
まあいいか、バクシーシとしよう。とにかく早めにホテルに入りたいので乗り込む。
 覚悟していた過剰な取調べもなく、ワットポーのI氏から脅かされた「今出国禁止らしいよ」の様子もなく、
すんなり入国できた。どうやら国王と民衆とが話し合いに入り、落ち着いたらしい。ラッキー!

 さてホテルに向かうが、街は汚く、乾燥した汚物が吹きさらしているかのようで、かつ騒々しいこと夥しい。
30分ほどスズキの軽四輪をとばし、細い路地を縫うように走って着いた街−タメル地区。おそらくアジア
でも有数のツーリストの溜まり場といえるだろう。
 ホテルはマルシャンデイ、3★ホテルだ。このあたりはゲストハウスやツーリストイン(小さな宿)がやたら多く、泊まるには
困らない。それにしてもこの騒々しさは何なんだ。人間と力車とTAXIと、人間の数ほどの店が隙間なく繋がって
いて店子が声をかけてくる。安いよ!あんたkoria?それともchina?

 しかしこれほど多くの店がどうして必要なのか?これで果たして商売が成り立つのか考えた。
どうもヤツラは旅行者に4倍程の値を吹っかけてるようだ。1Lの水が30RP。22RPの利益があれば1日10本売れば
220RP。これにビール大瓶が90RPで2,3本売れれば、なんとか個人商店はやっていける。

 おっと、俺はこんなことを考えに来たのではない。いけない、いけない。そんなのどうでもいいことだ。
自分で自分を日常に引きずり込むのはよせ。

 とりあえずホテルにチェックインし、シャワーを浴び、さっき店で買ったビールを一気に飲む。これだけで少し幸せに
なる。気分が良くなったところで、明日のポカラ行きのチケットをフロントに頼む。帰りOPENにし、US152$。
ルピーは使えない。これも30$はフロントが抜いているんだろう、などとまたよけいなことを考える。

 気分もやっと落ち着いた夕方、近くのレストランにネパール料理を食べに行く。ダルバート。それはご飯の
周りに数種類のカレーを並べた食べ物だ。ビールは「エベレスト」がいい。払いは440RP。ビールが結構高いようだ。
                                       (カトマンズ/タメル地区泊)

(4/28) 昨日フロントに頼んでおいたホテル専属のTAXIは300RPするだけあって、車がデカいだけでなく、ドライバーの
体も声も、態度までデカい。そしてやたら陽気だ。
「どこ行くの?ポカラ?そんなら俺がこの車で送ってやるよ。US500$でどうだい?5時間で到着だぜ。」
予約しておいて正解だった。AIRもホテルもTAXIでも予約してないとわかると、俺に任せろとやたらしつこい。
I've already rezerved! これで少し静かになる。

 20分で着いた国内線airportはまるで倉庫。check-in カウンターはまるで屋台。男女別の標識があるからトイレと
思いきやなんとそこが出発ゲートだった。
 乗客は15人乗りの双発機(ビーチクラフト?)にたった4人。パイロット2人とスチュワーデス1人、計7人でポカラに向かう。
右遠方にヒマラヤを眺め、下を見ればそれこそ等高線に沿い、山のてっぺんまで畑・田んぼで埋め尽くされている。
もちろん千枚田なんてものじゃない。何万、何十万とある。またしても思うが、なんでこんなに田畑を作る
必要があるの?

 機は30分ほどで下降を始めるが、急にガクンと機体を傾ける。スワ!俺もこれまでかと一瞬考えたが、なんの
ことはない。パイロットが前を飛ぶ鳥を避けたのだった。

 ポカラ空港。タラップを降りて歩いて建物に向かう。サブパイロットが自分で持ってけと荷物を渡す。
表にはさっそくTAXIが集まってくる。なんせ客はたった4人だ。
150RPだと。無視してさらに歩く。停まっていた比較的新しい車に声をかけ100RPではと。OK。
昨日の様子で半額になるとわかっている。交渉は無駄な時間をかけずにやるもんだ。約15分ほどで
レイクサイドのホテルBALAHEEへ。今日からの3★ホテルだ。部屋はmachapuchure の見える部屋を頼む。
なにせ、この騒動で客はまばらなのだ。これでkathmanduのホテル同様1泊1000円(通常6000円以上はする)とは
ありがたい。この国は今、こんな政情なのだ。旅行客はほとんど来ない。
 部屋からは青い芝生の広い庭。その中にはこの辺りでは珍しいプール付き。ドイツからのピチピチギャルが
ビキニで数人寝そべっている。見上げれば7000mほどのmachapuchure(別名fish tail)が部屋のベッドから
望めるのだ。俺は天国に極めて近い所に来た、と嬉しさがこみ上げるてくる。

 フェワ湖畔まで歩いて5分程。monsoonでcontinental breakfastが125RP。部屋に戻っては、昼寝とプールで
ひと泳ぎ。そういえばプールで泳ぐeuropa の娘たちの裸を見ていると、こちらに来る前日寄ってきた藤田嗣治の絵
を思い出す。この画家は、ほんとうに女を愛し、女に愛されたんだな、ということがつくづくとわかってくる。

 夕刻、街でTAXIを捕まえ、明日半日1000RPで借り切ることにした。ドライバーの名はGIRIという。24歳の若者だ。
夕食はmanma mia。イタリアンレストランだ。ここネパールはやたらイタリアンの店が多い。トマトスープ、300gのガーリックステーキ、ビールは
もちろんエベレスト、それとネパールチャーでしめて400RP。

 思えば20年前、ギリシャからシルクロードを東に向かいアフガニスタン、パキスタン、インドの北manaliまでたどりついたが、今
ついに今ネパールまで到達したのだ。ここは宗教はヒンドウだし、文化・習慣はほとんどインドそのものである。
クセはあるが、街ではほとんど英語が通じるのは助かる。

夕食後、インターネットの店で友人にメール。1時間99RP。明日は早く起きて山に登り、朝日を拝むのだ。(ポカラ/レイクサイド泊)

     
ホテルバラヒー                 フェワ湖畔のレストランから              アンアプルナ山群 

                
(4/29)4:30起床、4:50GIRIが迎えに来た。今回山は初めてなので、サランコットの丘で足慣らしのつもりだったのだが、
GIRIが、突如こんなにいい天気なんだから、今日登ろうという。明日の天気がどうなるかわからないとまで
言われるとこれはもう登るしかない。いちおうトレッキング・シューズにリュック、水も簡単な食料も持っている。
フェデイまで車を飛ばし、そこから登り始め、ダンプスを目指す。
 ガレ場や急な石段をひたすら登っていくと1時間ほどでダンプスの下村に入る。そこから畑や農家の庭先を抜け、
尾根に向かう。GIRIにはおだてられ、からかわれ、文句を言われ、なんとか尾根の村に入ると、目の前に突然
マチャプチャレが真正面に姿を現した。

 ウヅグジーイ!その周りにはアンナプルナT、U、V、Wが、左手にはダウラギリ、右手にはマナスルなど8000m級の
山々が連なり、なんとも贅沢な眺めだ。僕にはマチャプチャレとアンナプルナVがとても印象的。
 ダンプスには小学校もあるそうな。尾根伝いの小さな集落。標高は約1800mほどだが、とても空気のきれいな緑
豊かな村。宿も何軒かあり泊まることもできる。

 しばし景色を眺め、茶屋で飲むビールのうまいこと。パンを焼いてもらい、チャーと持ってきたチョコレートで朝食。
しばらくは動けないし、動きたくもない。見上げれば青い空、そして8000mの真っ白な神々の山々。

 帰りの村では子ヤギが草を食んでいる。ンメエー!白いのや黒いの。朝日を浴びてうぶ毛がキラキラ輝いている。
あまりにカワユクていじめたくなる。こちとら身体の慣れと十分な休養とで気分・体調ともすこぶるいい。なんせこの
景色だ。スキップしちゃうか。

 再びフェデイから車でポカラに向かう。途中、GIRIは一軒の農家に寄り、大量のジャガイモを買込む。ボスに頼まれた
んだと。ここのはとてもうまいらしい。形はメリークイーンのようになめらか。
そして、帰りがけ、当初の予定だったサランコットの丘に登る。

 ここからの眺めもまたなかなかのもの。近くはないが、その分よりワイドに山々が広がって見える。
ヒンドウパシニ寺院に立ち寄り、フェワ湖畔のガーデンレストランでピザにビールで昼食。
 「おいおい、Mr.ドライバーよ。君はビールを飲んでいいのか?」
 「ああ、いい、気分いい。今日は仕事は終わり。」
よって午後の予定はキャンセル。GIRIにサランコットまでの約束の倍2000RPを払い、ホテルに戻り昼寝、そしてプール。
そこで泳いでる男はヨガの教師だという。確かに体はやわらかそう。クネクネしてる。長いマツ毛の澄んだ目で
こっちをジっと見つめながら話かけてくる。変な気分になりそうなので早めに部屋に退散。

 夕方、「ラダ・クシュ」でオニオンスープと焼きマカロニ・・・これは全く我に合わず、すべて残す。申し訳ない。

さて、私の足は一気にダンプスまで登ったせいか、パンパンでゴレパニ/タトパニまでたどり着けそうにない。
明日は近郊を散策することにしよう。GIRIに9時に迎えに来るよう連絡。おやすみなさい(ポカラ/レイクサイド泊)

(4/30)7:00起床、フェワ湖畔を散歩。いつものモンスーンで朝食。今日は湿気が多く暑くなりそうだ。9:00AM
GIRIが迎えに来る。彼は時間に正確だ。ダムサイトを過ぎ、パタレ・チャンゴへ。ここは湖から来る川が地中に滝になって
落ち込んでいく不思議な場所だ。反対側に廻るとその地底への洞窟がある。グプテイシュワール洞窟だ。階段を下りて
いくと小さな寺院があり、コブラを祭っている。さらに洞窟を奥へ入っていくと、先ほどの地底滝へ続いている。
結構奥が深く、人一人がやっと通れるほど。周りは石灰分が付着し、まるで鍾乳洞のよう。

さらに車を進め、タシリン・チベット村を過ぎ、日本山妙法寺に登る。ここはフェワ湖南の丘陵に建つパゴダだ。ここから
のヒマラヤの眺めもまた素晴らしい。とにかく昨日のダンプストレッキングで足の筋肉が痛い。

 その後、国際山岳博物館へ。敷地は相当広く、建物も体育館を3ツ合わせたようなデカさ。中には8000m級の
山々の写真。ヒラリーとテムジンがいる。そして田部井淳子のエベレスト登頂時の装備も展示されていた。それは
すごくシンプルで、こんな軽装で、とも思えるほど。

 帰路、久しぶりに日本料理「食べものや」で天ぷら、ざるソバ、冷ややっこ、そしてビール。GIRIにはカツ丼と
味噌汁を薦めたがどうも口に合わないようだ。その後、明日午前のフライトを予約し、ホテルに戻る。今日の日当500RP
を払い、明日の空港送迎を頼み、いつものように午後はプールと昼寝で過ごす。

 夕食はこの日、さすがに食えず、それでもケーキ2個をチャーで平らげた。こんなに食っちゃ寝でいいんだろうか?
また太ったような気がする。                           (ポカラ/レイクサイド泊)

(5/1)ポカラを後に、今日からカトマンズに戻ります。
旅も半ばを過ぎると、後半はアッという間に終わるもの。
ちょうどそれは人生のようなものです。でもこの町はきっと一生忘れない。真っ白な山マチャプチャレやアンナプルナ、
美しい水を湛えたフェワ湖、たくさんの緑の山々、純朴で心やさしい人々。
8:45、送りに来たGIRIは少し寂しそう。もう帰るのか、とヤツあたりぎみ。もっといたいのに・・・

10:15、SATI805便で出発、たまたまカトマンズから一緒のフライトだった夫婦とバッタリ。帰りは超満員である。そして再び
マルシャンデイホテルへ。やっぱりポカラに比べ、ここタメル地区のなんと騒々しく汚いこと。

 昼寝後15:00市内観光に出かける。まず力車でスワヤンブナート寺院へ。50RPで坂の途中まで。
このネパール最古の仏教寺院は猿が多く生息し、モンキーテンプルとも呼ばれる。ところが麓に着いてみると、寺ははるか
石段の上。足はあいかわらず痛むが、男kimura、登らないわけにはいかない。その数、なんと350段。上からは
市内が一望できる。雨雲が迫ってくるのが見え、早々に裏側に降り、ちょうど来たTAXIに飛び乗り次の目的地、
ダルバール広場へと急ぐ。ここは旧王宮や数々の寺院に囲まれたカトマンズの中心部。広場への入場料200RPを払う。
夕刻ですごい人。すごい喧騒。建物だけ見上げればパリのカルチェラタンのよう。ただ道路には牛が寝そべっているのと
人間の数と騒々しさを除けばだが。ゆっくり見て歩きたいところが、天気が危うい。

 大通りに出て、TAXIに乗り込んだ途端、大雨が降ってきた。ぎりぎりセーフ、今日はこれまでだ。
雨が止むのを待って、ホテル近くのタメルハウスで夕食。野菜スープとモモ(ネパール風ギョウザ)、ツアタモリ、ビール、ネパールチャー
で475RP。一般の人々の食事代は100RP程度で済ましているようだ。ここは食いたいものを食いたいだけ、食いたい
店で食える国。余裕があれば目いっぱい使うがいい。
 その後、フットマッサージへ、腕はマアマア、1時間500RP。最初に行った店はチト怪しげな店であった。(カトマンズ/タメル地区泊)

(5/2)7:00起床、ホテル屋上に上がれば昨日のスワヤンブナート寺院が、まるで霧の中に浮かんだ島のように見える。そもそも
カトマンズは3万年前は湖だったのだ。かつての景色はちょうどこのように見えたはず。伝説ではこの島に大日如来が降り
立ったとされる。それを知った文殊菩薩はチベットからインドに戻る途中、この地に寄り、ストーパを建立したという。

 7:30、近くの旅行代理店に出かけ、ナガルコットの様子を聞き、ホテルを予約する。60$というが40$朝食付で話をつける。
しきりに今日のハイヤーやマウンテンフライトを勧めるが、天気次第のこともあり、これは断る。ホテルに戻り専属のハイヤーに午後から
2日間2000RPで話をつけ、残りの市内を廻ることにする。

 10:00TAXIを半日500RPで交渉。こちらは何でもいちいち交渉しなければならない。値段表のあるレストラン以外は
すべて交渉。水一本買うにも交渉だ。相場がわかるまでは結構疲れる。

 ボダナート寺院(ネパール最大の仏塔、チベット文化の中心)、パシュパテイナート寺院(ネパール最大のヒンドウ寺院、インド/ベナレスの
ような火葬場がある)を廻り、タメルに戻り「ふる里」でナスのみそ焼き炒め昼食。

 さて約束の午後3時になったがハイヤー現れず。30分待っても来ない。どうやら安く値切りすぎたようだ。
部屋はそのままキープし、必要な荷物をまとめ、表でTAXIを拾う。1000RPでナガルコットへ。飛ばしに飛ばし、
約2時間弱でホテル/ビューポイントへ到着。思ったより距離があったので100RPを追加して払う。泊まりは45部屋のうち、
私を含め3組のみ。だが肝心の夕陽に輝いてるはずのヒマラヤ見えず。モンスーンの影響か、霧が消えないのだ。
夕刻はカミナリショウと停電の中、明日の快晴を祈って早めに寝るしかない。        (ナガルコット泊)
   
    
ナガルコットの朝                  古都バクタプル              トウマデイ広場の水汲み

(5/3)5:00起床。屋上に上る。何度も何度も目を凝らしたが、ランタンヒマールの山肌らしき一部がみえるだけ。
山はあきらめ、ナガルコットを歩いてみるが何にもなし。まったくもって何にもなし。

早々に車を手配し、昨日旅行社で勧められた古都バクタプルへ向かうことにする。

おんぼろ車1時間少々でバクタプル。まったく想定外の町に来た。
しかし、これがとてもいい。古き町並みが残り、赤レンガで造られた家々や道路。15-18世紀はマッラ王朝の首都
のひとつだっただけのことはある。

 タチュパル広場からトウマデイ広場、ダルバール広場へ歩き、一番気に入ったトウマデイ広場に戻る。そこには五重の塔を持つ
ニャタポラ寺院が。向かいの「カフェ・ニャタポラ」でヨーグルトを食べたが、確か中国新疆と同じ味だったか、それとも
アフガンで食べた味だったか。

 ダルバール広場で帰りのTAXIを探す。すぐに見つかった。カトマンズから来た帰りの車なので安い。300RP。
一般的に、この国はイスラム/ヒンドウの考え方で、
金のある者はたくさん払え、ということで、旅行者にとって広場や
入場料代などやたら金が取られる。ナガルコットでヒマラヤが見えなかったせいか、こんなことが妙に腹立って
くる。

 タメル地区のアンナプルナで最後の夕食。野菜カレーとナンで軽く済ます。明日はバンコク経由で帰るのだ。
                                            カトマンズ/タメル泊

(5/4)7:00ホテルの屋上に上がってみるが、やはり山は見えない。おそらくナガルコットにいても同じような
ものだろう。マウンテンフライトもあきらめ、ホテル前の通りでザクロジュースを朝食代わり。これはアフガンのものより薄味。
やはり真っ赤に熟したものが甘酸っぱくておいしい。さてあとはオーバーブッキングだけが少し心配なので、早めに
チェックアウトし、空港に向かう。TAXIは来たときは300RPだが、帰りは150RPとなる。

 思ったよりスムーズにチェックイン。1750RPの空港税や観光税?が取られる。余った1000ルピー程を再両替したかったが
銀行の係員はいつまでたっても来ない。向かいの売店の親父に聞いたら、彼が日本円の500円玉3枚に代えてくれた。

TG便は予定通り出発したが、経由地バンコクで乗り継ぎの便が遅れたとかで5時間のところさらに1時間待たされ
やっと出発。結局カトマンズから計9時間フライトのところ9時間の待ち時間となり、合計18時間もかかった。

帰りは機中泊、5/5朝予定より2時間遅れで成田着。直行便でないため、空港での待ちが相当しんどい。(機中泊)

今回の総予算20万ほど。そのうち成田からポカラまでのAIR代で13万。

感想@ポカラは天国、カトマンズは20年前のインド/アフガンのよう。面白いが騒々しく、汚い。
  A英語はクセがあるが、ほぼ通じる。
  B仏教国のようだが、バリバリのヒンドウ文化圏、特にカトマンズはインドに近い。
  C山を歩く(見る)なら10-11月、または3月までの冬の時期がいい。
  D値段はすべて交渉、大体2-4倍に吹っかけてくる。
  E日本からは乗換えが不便。時間の余裕が必要。関空からは直行のロイヤル・ネパール航空が飛んでいる。

次回は、メキシコかペルーを目指したい。同行者求む。    



☆札幌国際&テイネ                
2006.3/31遊悠人

 今年は久しぶりに雪が多く、1月に続き今月は仕事を兼ね、札幌国際とテイネを滑ってみました。
初日にホテルでビジネス上の打合せをを済ませ、レンタルのスキーやウエアを受け取り、夕刻すすきのの
和食屋「高はし」で同行の友人と札幌の知り合いとで毛蟹やきんき、シャケ、銀ダラに舌鼓を打つ。
気分も乗って日本酒が大いに進んだ。知合いと友人はその後キャバレーに繰り出していった。
 ホテルは札幌駅近くの英国調ホテル・クレスト、中庭でブライダルが行われるので知られるように、特に
若い女性に人気なようだ。朝食のバイキングは久しぶりにおいしい内容だった。
 
 朝、送迎バスで約90分、札幌国際スキー場に着く。このスキー場はファミリー向けで緩斜面が続くコースで
知られる。頂上からは小樽湾も一望でき、山をいくつか海側に超えればキロロである。ここは3年ぶりか。
 同行の友人(中国人)とはスキーは初めてである。一度頂上から直滑降で降りてきたよ、などと聞いていた
ので、さっそくゴンドラでそのまま頂上へ。しかし滑り初めて気がつけば彼は全くの初心者。曲がること
さえできない。しかも頂上は吹雪き始めてきた。こういった初心者を教えるのは非常に難しいのだ。
しばらくボーゲンを教えてみたが、いかんせん50の手習い。体は硬くいうことは聞かない。頭も相当固く
素直にこちらの言うとおりやってくれない。このままでは、下りて昼飯まで3時間はかかるのでここは非常
手段。ロープウエイ頂上駅まで歩いて戻り、帰りのゴンドラに乗っける。

 友人はしばらく下で練習したいというので、1日券に切り替え、2ケ月ぶりにガンガン滑りました。−満足−

夕刻は再びすすきのの居酒屋「さっぽろっこ」で刺身、鍋・・・。なんせこの友人は刺身ダメ、肉ダメというから
食うものがないのだ。したがって居酒屋ならなんかあるだろうということになる。

 今日も朝から雪が降っている。1時間後、テイネスキー場につく頃はガスが出てきた。暖かいのである。
今日も友人を下に残し(本人の希望なのだ)、ゴンドラで頂上に向かう。しかし上はガスで3メートル先も
見えない。なにせ初めてのゲレンデである。このとき怖いのはスピード感がなくなること。相当飛ばして
いても対象物が見えないから自分のスピードに気が付かない。こういうときは慣れた者のあとに付いて
降りるのが一番いい。ちょうど地元の先生に連れられた小学生のグループがあり、ついていく。彼らは
なんと片足しかスキーを履いていない。しかし付いて行くので精一杯。

 結局今日は1日中この天気。なんどか天気の合間をみて、頂上から滑ったが結局何もみえず。このゲレンデ
あまり大きくはないが、いい斜面はあるようだ。友人は手が痛い、足が痛いで終わったようだ。早めに切り
上げ空港に向かう。今シーズンの滑り収めにしてはチト物足りなかったが、雪に感謝。スキーに感謝。
今年も楽しみをありがとう。

来月はヒマラヤのトレッキングに向かう。



◎ニセコスキー                  2006.1/30遊悠人 

 さて今回はニセコ東山に行くことになりました。理由はニセコは久しぶりということと、その中でも
東山は初めて、そしてホテルは温泉付きという理由です。

 1/20 ANA8:00発、千歳からバスで約3時間、北海道でも久しぶりの大雪です。
バスにはツアー客が約30名が乗っています。料金が3泊4日¥42000(朝食/全リフト券付き)と格安なためで
しょうか。今回はそこそこの参加者です。ホテルは東山プリンス本館を使用しますが、客が少なくなったせいか、
夕食は少し離れた新館まで食べにいかねばなりません。(送迎あり)

 スキー場はヒラフとアンヌプリの間に位置し、規模は小さいが、細長く、上部で各スキー場と繋がっている。
特徴は、ロングコースと新雪のバーンが残されていること。西部系のゲレンデはは斜面をビカビカに圧雪してしまう
のが多いが、ここは雪も多く、一部の斜面は新雪を残すようです。
いつものように初日は滑らず、温泉とビールと午後寝で過ごします。

 1/21 バイキングの朝食を済ませ、いざゲレンデへ。スキーは東京からレンタルを頼んであり、昨夕ホテルに
届けてもらってある。2日間セット¥4000、3日間だと¥5000。もちろん板はカービングです。
リフト券はカード型で、パネルに近づけるだけでOK。

 天気は、粉雪が舞っている。上越のフワリと降ってくるボタン雪と違い、ほんとうに細かな雪がスパイラル状に
すごい速さで落ちてくる。山頂部は風も強く、気温は-17度C。ホカロンを背と腹に貼り付けてきたが、これでも
足りないようだ。

 新雪を滑る気持ちよさは滑った者でないとわからないだろう。シャーッという雪を切る音以外の音はすべて
新雪に吸収され、フンワリと雲の中を落ちていくよう。一度滑り始めたら止まらない。いや、あまりに気持ちが
よくて止められなくなるのだ。全身をすべて自然に預け、どうにでもしてくれという感じ。

 15時、吹雪いてきたので早めに引き上げ、ホテル内温泉へ。ここは露天風呂も併設している。まだ数名しか
いない貸しきり状態。

 1/22 今日は、天気が落ち着いているようなので、ヒラフに向かう。ゴンドラ終点から5分歩いてヒラフ側に
滑り降りる。ここは数年前にオーストラリア人が買い取ったはずで、そのせいか外国人も多く多国籍。
しかしヒラフは広い。これほどゆったりしたゲレンデは外国にもあまりないだろう。火山がまるごとゲレンデ
になっているのだ。カナダやヨーロッパとはそもそも山の生い立ちが違うのだ。

 午後になるとやはり吹雪いてきた。1月の雪は降り始めると止まらない。風で上部のリフトが止まると帰れ
なくなる恐れがあるのでので、今日も早めにホテルに切り上げる。

 夕食は、新館に出かけ、ステーキを食う。今日はこれだけ運動をしたのだからいいだろうと。正月の田舎、
そして先週のバリで体重はすでに3Kgほどオーバーしてるが、一体どうなることやら。

 1/23 最終日はスキーはしない。ホテル発17時まで部屋を延長し、温泉とビールと昼寝と午後寝。
これでも、リフトが動き出す前から並び、夜はナイターが終わるまで滑った時代もあったのだよ。

 5時発のバスはノンストップ約2時間ほどで千歳到着。最終便の出発まで空港3階の「あじさい」(塩ラーメンが名物
らしい)で四川ラーメンを食べ、六花亭のレーズンバターサンドを土産に帰京。

 今年は雪が多いので、春にもういちど来れるかもしれない。



★バリ・エステ研修(1/12-16)  -ツアー申込み-       2006.1/17遊悠人

 ヒルトン・プライベイトビーチ         シエスタの中庭           基礎コース終了証

 今回は日増しに要望の高まるバリ・エステを体験しに来ました。1月のバリはサーファーが来るぐらいで
ガラガラの状況です。やはりテロや鳥インフルエンザの影響でしょうか?でもロシア人の家族は大いに目立って
います。中国同様、金持ちが増えたのでしょうか、チャーター便で何百名が押しかけ、一人7〜8万円相当の買物を
するようです。一部のガイドはロシア語の勉強を始めたとか。
ただ我々勉強する者にとって、空いてることはいいことです。テロや鳥インフルエンザなど、必要以上に心配する
必要は全くありません。目的をしっかり持っている者は、あまりTVや新聞など過度の情報にはだまされない
ものです。実際中国でもタイでもカンボジアでも来て見ればそれがよくわかります。

1/12 GA881便11:00発直行バリ行きは半分ほどの搭乗率でしょうか?空いています。約7時間でデンパサールへ。
行徳に1年ほど住んでいたというマデさんが出迎え、ホテルへ。途中バリ・エステの店を2軒ほど覗いていく。
お店はみなすごくきれいに手入れされ、手ごろな大きさのようだ。日本人のスタッフまたは日本語の話せる
スタッフが常駐し、やさしく案内してくれる。バリには、かつて相当数の日本人が繰り出していたのです。

 その後、今回の宿泊地ヌサドアのヒルトンホテルまで約20分程。やはり空いている。このホテルはコの字型
に海に開いた500室以上もある巨大なホテルだ。広い中庭には広大なワニ(小さいが)も泳ぐ池、プールも3ツ、
野外劇場まで備えてある。オレンジの屋根がいくつもの館を繋ぎ、隣にはゴルフ場まである。
部屋も広い。ベランダを入れれば60平方米以上はあろうか。バスタブ以外にシャワールームも付いている。

 夕刻、ヌサドアの街に出てみる。お土産店やレストランが並んでおり、木彫りのガルーダや仏像、ウブドの
絵、ロウケツ染めの衣類など独特のバリ文化が生み出す土産は芸術性が高い。
1軒のレストランでシーフードのプレートを注文する。ロブスターなどの海老やイカ、焼き魚など2人前はあるだろう。
そもそも2人で来るはずだったので焼け食いだ。地元ビールと合わせて250,000ルピーほど(10,000RP=¥125)

1/13 7:30 鳥の鳴き声で目を覚ます。
 8:00バイキング朝食
 9:30スパの送迎、約20分で「シエスタ」到着、ここはバリでは数少ない(数校のみ)教育文化省の認定校。
全10日間60時間の講習で、トラデイッショナルマッサージとクリームバスの試験が受けられ、合格者には認定書が授与される。
また、入門コースとして、上記のほかフェイシャル/フット/アロマテラピーなどが受講できる。

 私は午前中クリームバスを選択、講師のRennyから説明を受け、実際にやってもらう。
クリームバスといっても、フラワーバスのクリーム版ではない。バリ独特のヘッドマッサージで、紛らわしさから
ヘッドスパとも呼ばれるようだ。まず洗髪、次いで独特のオイルで頭部のマッサージ。そして肩から背中への
ハンドマッサージで終わる。行程約1時間。BGMはバリ音楽Degungの笛の音。ここは2階だが、階下には中庭の
プールを囲むようにマッサージ用の個室が並ぶ。椰子とたくさんの花々と鳥と風の声であふれ、まさに癒しの世界。

 高野/Y.やトニー/T.のスクールの生徒なども来るようだ。
昼食は近くの食堂に送ってもらう。料理2皿とビールで30000RP(\500)ほど。(ほんとうは酒を飲んではいけない)
見かけよりずっとおいしいが、一般人はチョット引くかも知れない。帰りは歩いて5分。

 午後は13時からトラデイショナル・マッサージ、男性のモデルを頼み実習。中国やタイ式とはちがい、リラグゼーションに重き
を置くようだ。

 15時シエスタの別館アメルタを見学、ここは車で10分ほど離れた高台にあり、景色も施設もすばらしい。

その後、ホテルに戻りビーチに出てみる。今はあまり観光客はいないが、なんと目立つのはロシア人。
チャーター便で家族を連れ、モスクワから飛んでくるそうだ。しかも金使いもいいらしい。一人7〜8万を使う
そうな。さすがBRICs。中国と同じように金持ちが増えてるようだ。

 部屋に戻り夕寝。19:30日本食はレストラン福太郎がいいというので、電話をすると迎えに来た。
JTBやHIS、いろんなガイドブックお勧めの日本食&焼肉レストランというのでイヤな予感がしたが、案の定、刺身は
ビシャビシャ、焼き魚は身がほぐれず、味噌汁はインスタント、写真メニューから伊勢エビの味噌汁とかを再注文したら、イモムシ
のような小さな海老が半匹だけ入って、ほかには何の具もなし。ビールと合わせて2000円ほど。
日本人の店員に話しを聞くと、いいネタが入らない??んだと。ザケンナ、二度と来るか!

 夕、ガイドのMADEからTELがあり、ヌサドアの知り合いのスパが会いたいというので、明日朝、会うことにする。
夜は、久々にバスタブにお湯を満々とたたえ入浴。なんせ独り身の私は、普通はシャワーしか使わないのだ。
TVでは英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の放送が常時流れているが、我がNHKは時々日本語で、時々英語で、
見たくもないドキュメントやドラマなどを流している。なんで常時日本語で、政治・経済・スポーツ専門のニュース番組を
作らないのだ。中国語ではなんと3ツも番組があるというのに、なんてほんとうはどうでもいいのだが・・・

 
   (クリームバス)              スパ「M&K」

1/14 DHスパの??さんとマネージャーがホテルに来たので、とりあえず話を聞く。場所はヌサドアなのでいいのだが
料金がチト高い(6割程)。もちろんそれだけの内容であれば問題はないのだが。話してるうちにシエスタの
迎えが来たのでホテルを後にする。

 まず料金交渉。だいたい希望の線で収まったので一安心。送客方法や支払いなども問題なさそうなので
今日のテーマであるフェイシャルを開始。モデルは18歳の娘さん。ポッチャリとしたいかにもバリっ娘。
若いってそれだけできれいだし素晴らしい。内容は予想通りの展開でこんなものなのだと思う。それより
ピチピチした若い肌を間近で見てるだけで、若返ってしまうのは、まさにオヤジを地でいってる。

 昼食に、最近できたという日本料理の軽食屋に送ってもらい、カレーうどんと稲荷寿司を食う。ビールと
合わせて12万RP(\1500)ほど。車で5分。

 午後からはフットの講習。昼間飲んだビールが心地よく、ほとんどうたた寝状態。途中、ルルールを片足に
試してもらう。これは水で溶いたターメリックを体に塗り、半渇きの状態になったところで、アカすりをするもの。
娘が嫁に行くときは、お母さんが必ずしてあげたものだそうだ。

 15:00ホテルに戻り、いつもの夕寝。クーラーを軽くかけ、窓を開け放して寝るのがクセになってしまった。
目覚めるともう19時。夕飯に街に出る。客引きのお姐さんに引かれてレストランに入る。結構きれいな店で
ほとんどが欧米人客で日本人はいない。ここでもいるいるロシア人の家族連れ。ナシゴレン(焼き飯)、焼きそば、
酢豚などたらふく食って、デザートの果物までついて、ビールと合わせて100、000RP(\1500)はいかにも安い。
20%オフなんだと。慣れてくるにしたがって、店の選び方もわかってくる。

 デジカメのバッテリー調子が悪い。すぐ電池ぎれになるのだ。ホテルの部屋の電源はすべて丸穴2ツの220V
なので注意。たまたまソニー製のTVの電源から充電できたので助かったが、その際はもちろんTVは見れない。
今宵、なかなか眠れず。

  寝れぬ夜は、好いた女のお腹の上で、ヨダレ垂らして眠りたい(字余り?)

1/15 今朝は雨の雫の落ちる音で目が覚める。そういえば、開け放ったままのベランダからは鳥の声が聞こえない。
朝食はいつも同じものを食べている。フレンチトーストとトマトとパパイヤとマンゴージュース&コーヒー。目の前では、サギやゴイサギが
その長い首とクチバシで池の小魚を啄ばんでいる。

 午前の予定は、別のスパ「M&K」でマッサージを受けることになっている。
やや遅れて迎えが来る。車で約20分。空港がすぐ目の前だ。一般道路からデコボコ道を少し入るのが、最初は
不安になるかもしれない。思ったよりきれいなスパが現れ、辺見マリ似の30前のスマトラ美人が受付・案内してくれる。
ここもプールを囲むように2階の建物があり、エステ受講者は泊まれるようにもなっている。今日は日曜なので
日本人スタッフはいないが、オーナーは日本人だそうだ。

 トラデッショナルマッサージを希望し、好みのオイルを指定する。
まず部屋でマッサージ服に着替えし、2階の個室に案内される。
??似の21歳のバリ娘が一生懸命、全身マッサージをしてくれるのはほんとうに気分がいいものだ。

 45分のマッサージで30US$、送迎と飲み物とお土産がつく。各ホテルに出張もするのだそうだ。
ただ受講するのは高い。

 今日は、早めに終了し、ホテルに戻り、昼はビーチで焼きソバで軽く済ます。
そしていつもの午後寝、出発まで何もせず、何も考えず。

 17:30 迎えが来て、免税店に寄り、軽くマッサージを受け(店のサービス)、土産を少し買い、空港へ

30,000RPの空港税を払い、いくつかのスパで流れていたバリのCD(Degung)をやっと探し出し、GA880便
ジャカルタ経由で帰国。機内はほぼ満員だったが、幸い僕の隣は開いていたのでゆっくり寝れた。

 4日後からはニセコスキーが待っている。



                                       
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