中国を極める:上海同窓会&忘年会 1999/11/30
11/20-24、今回は大学の友人達と同窓会を上海でやろうということになり、皆で上海へ。
今回も遠方より来る者がいるためUA夕方便を使用。
ホテルはソフィテル(四星)、南京東路に面し、外灘までも近く、何より良いのは
フランス系のホテルのため欧米の外人さんが多いこと。
概して海外では、日本人だけが利用するのホテルより外人さんも多く泊まるホテルのほうが
が内容がいい場合が多い。
これは外人さんのほうが自分の意見をよくいうからです。いいものはいい、悪いものは悪いと。
部屋は少し狭めだが、細かい気配りが随所に感じられる。
2日目:貸し切りバスにて蘇州へ
虎丘、寒山寺、摂政園は相変わらず。
上海に戻り、西郊賓館での薬膳料理。ここは何度来ても感激してしまう。
ホテルの広さ。喧噪の中の静けさ。メニューに沿って一品ずつ運ばれる薬膳料理の数々。
そしてその味。登小平でなくとも上海に来るたびに寄りたくなる気持ちがよく分かる。
夜は薬膳で火照ったからだで、雑技団観賞へ
3日目:上海市内観光へ
まずは豫園観光、そして茶屋にあがりウーロン茶をたっぷり時間をかけて味わう。
悠久の時。ああ中国4000年とはチト大げさか。
次の玉仏寺は簡単に済ませ、モンゴリアンバーベキューヘ
ここは自分で肉や野菜をとり、自分で味付けし、コックに鉄板の上で焼いてもらう。
ついで、上海中医薬大学付属気功研究所に行き、気功の手ほどきを受ける。
以後は自由行動にし、上海博物館(青銅器に感激)や伊勢丹見物などフリーに。
夕食は上海蟹に挑戦。11月からはオスの方が美味なんだと。
4日目:帰宅日のハズが空港に行ってみると前夜飛んできてるハズのUA機がいない。
なんと上海の浦東(新空港)がガスで飛行機が降りられず香港に行ってしまったんだと。
連休の最後の日。代替便もないので早めにあきらめ、明日の便を虹橋(旧空港)
発のNW便で予約し、市内に引き返し、UAで手配したホリデイインクラウンプラザへ。
みんな明日の仕事を忘れ、頭を切り替えて東方明珠(外灘のタワー)に登る。
5日目:やっと成田に帰りました。
−再び買い物考− 11/28
買い物はまず 1.自分にとって本当に欲しいものを見つける。
2.その値決めをする。(ここが重要かつ難しいところである)
3.値段を交渉する。
4.買う
という順序です。
買う気もないのに無意味な交渉をしたり、
無駄な時間を費やさずにスマートに値切りたいものです。
桂林とは、そして再び 西安(4/29-5/02を参照)へ (9/03)夢遊人
今回は姉夫婦、先輩夫婦が一緒です。上海の友人もスルーガイドとして同行し総勢6名の大名旅行。
8/25(水)UA夕便にて上海へ,3時間で到着
空港近くで夕食を済ませ、日航龍白ホテル(4星)へ
8/26(木)MU朝便にて目的の桂林へ、所用約2時間
到着後、畳彩山、蘆笛岩、七星公園等を廻る。
蘆笛岩−これは鍾乳洞である。しかもそのスケール、内容はすごい。
秋吉洞、龍泉洞より石筍、石柱ははるかに密、詰まっている。
青い照明の幻想的世界。
宿泊はり江畔の帝苑酒店(5星)
8/27(金)り江下り
桂林(99年8月)
なんといっても桂林のメインはこれ。
竹江から陽朔まで約4時間、しかも天気は霧雨と舞台は整っている。
釣り鐘状の山が重なり、まさに墨絵状態。
定員60人ほどの船は満員、全席指定2階建て、3階はオープンデッキである。
2時間後ぐらいに昼食が出る。酒は持ち込まずともビールや桂林三花酒が注文できる。
ここは世界的に有名なのだろう。
日本の農協さんをはじめ、欧米から、また中近東(パキスタンなど)からも多勢来ている。
夕食後WH夜便にて西安へ
ホテルに着いたのは深夜11時過ぎである。
中国は便が少ないので、ときどき中途半端な又は極端な時間になってしまう。
(泊)皇城賓館(日航系4星)は城門内にある。
8/28(土)兵馬よう坑、華清池、始皇帝陵、大雁塔はこの欄4/27からの報告を参照されたし。
西の城門からは、先週まで旅行していたコンヤやイスタンブールが遠く見えました。
夕食は前回と同じく、ここの名物餃子で蒸しもの、水餃子など16種ほどは
出てきたでしょうか。
兵馬よう坑:これは始皇帝陵の東に位置し、陵を護る埴輪の軍隊である。
現在まだまだ発掘中であるが、発掘された6000体以上の全部の顔と表情、
衣装はみな違う。
西安は黄河の支流、い河の流域にある。敵が攻めてくるとすれば東からである。
よって兵馬ようは始皇帝陵の東に位置し、兵馬は東を向いて敵に備えている。
一気に掘らないのは、兵馬が酸化してしまうからである。
1974年に発見されたのだが、すでに目にするものは、酸化し色はない。
敦煌など中国に限らず、ヨーロッパの中世の名画など我々の目にするものは
残念ながら、色褪せて暗い。だが原物自体はもっと華やかに明るく装飾されて
いたに違いないのだ。
8/29(日)朝便で上海へ
到着後、日本料理屋へ直行し、刺身やそば、日本酒を食らう。
その後は豫園、玉仏寺はいつものコース、疲れ気味なので中医薬大学でマッサージしてもらう。
夕食後は雑技団観賞、これは6月とメニューが全く変わっていたのには驚いた。
(泊)ソフィテル(4星)南京東路にあり外灘にも近い。
8/30(月)UA838 朝便にて成田に向かう。
−考察−
桂林−ここは広大な石灰岩層である。ほかにない特徴は地層が厚くほぼ水平だと
いうことです。つまり珍しく海底からこの地域一帯がほぼ水平に隆起したということです。
しかもこれら山々がほぼ々高さ(300m前後)で釣り鐘型をしているということは、
以外新しい時代の隆起(といっても数千年前の事ですが)でかつその隆起のスピードが
早かったと思われます。
石灰岩といえば鍾乳洞です。石灰石はCO2の水に溶ける。
上記の蘆笛岩のような鍾乳洞は、おそらく数限りなくあるに違いないと思います。
蘆笛岩も1959年発見といいますので、未発見の巨大鍾乳洞がゴロゴロあるはずです。
ケイビングの好きな方はぜひ桂林へ来て世界最大の鍾乳洞を探して下さい。
同じ地層面を水平に探していけばいいのです。
西安−シルクロード西端のトルコとの共通点は
1.乾燥地帯であること(気候、環境がとても似ている)
2.温泉を病気治療に役立てている、そのためのりっぱな施設を持っている。
3.西瓜、メロン、石榴等くだものは非常に似ている。
4.絨毯、そしてその織り方
5.東西の交流(特に西から東へ)は非常に盛んであった。
ちょっとまとめ方が悪く,後ほど整理しておきます。
トルコを旅して (8/23)夢遊人
カッパドキア(1999年8月)
トルコ航空の後援で8月15日から22日までの8日間、総勢80名程で イスタンブール/トロイ/ペルガモン/イズミール/エフェソス/パムッカレ/カッパドキアを駆け足で廻りました。
朝は毎日5〜6時に起き夕8時の到着の繰り返し,行程はきつかったけど楽しい毎日でした。
以下はその内容と考察です。
8/15(日)13:10発TK1023にて成田出発
20:00イスタンブール着 13時間は思ったより遠い。(時差6時間)
まずビックリしたこと、それは現地通貨のトルコリラ(TL)である。
200USドルを両替したらで500万TL札がドッサリ、100万TLは2USドル以下でしかないのである。
Aziyade hotel(4星):7階レストランからマルマラ海やトプカプ宮殿が見えロケーションはいい。
それにしてもトルコの電源のスイッチは大きい。
大きすぎてどこにあるか分からない。
8/16(月)9:00発イスタンブール市内観光
ブルーモスク:6本のミナレット(塔)が王の偉大さを物語る。
トプカプ宮殿:ここの財宝は99年間のトルコの国家財政を賄うとか。
それにしてはいかにも緩い警備体制。
午後バスで一路南下し、ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。(行程約5時間)
泊:チャナッカレ Akol hotel
8/17(火)朝3時頃、地震で起こされる。かのトルコ大地震である。
さすが不安で久しぶりに神様に祈ってしまった−助けてくれ!と。
幸い、ここは震源地から250KMほど西に離れてしまったが、1日ずれていたら
もっと肝を潰したに違いない。
なにせこの国は一般の建物はレンガを積み重ねただけで5階以上の建物を
造っているのだから。
トロイ、ペルガモンを経てトルコ第3の街イズミールへ
アレキサンダー大王が夢のお告げで創った街
今日の行程約4時間、(泊)Gaziler hotel
このホテルからの旧市街の夜景、これはトプカプ宮殿の宝石よりずっときれいだった。
半月を置いたような小高い山を埋め尽くした民家から放たれる青、赤、黄、緑の光は
まるで宝石箱。
しかしトルコには何といっても青が一番よく似合う。
8/18(水)地震の概要がだんだんと伝わってくる。
それは同行者へ日本からFAXが入ってくるからだ。
以後毎日悲惨になっていくニュースを聞くことになる。
今日はエフェソスからパムッカレに向かう。
エフェソス:この遺跡は大きさといい、復旧度といい、見応えはヘレニズム最大のものか?
買春宿の方向を示す足の裏が道路の石に彫ってありました。
アルテミス神殿(大理石で創られた最初の神殿)に一本だけ残った柱と
その柱の上に巣作りした水鳥
聖母マリア教会
この街も海面の後退で衰退していったと思われる。
昼食後パムッカレへ
沿道にはオリーブといちぢく、ポプラ、以外と多い松の木。そして山羊の群。
禿山のようで禿げ山でない地中海沿岸の岩山。一本の木には一定のテリトリーがあり、
そこには一本の木しか生えていない。
オリーブの裏返したようなあの葉の色はあまりに強すぎる日差しへの抵抗か。
パムッカレ:今回最も期待した石灰棚、各地の鍾乳洞やアフガニスタンで見た石灰の河床棚
(10/06参照)とどう違うのか。
残念ながら大いに期待はずれ。管理の悪さからズタズタといっていい状態。
お湯は流れていない(一定の時間しか流さない)し、棚は多くが壊されている。
こんな貴重なものを,なんてことしたんだ。馬鹿野郎!
水着で泳ぐなんてとんでもない。
今日の行程4時間、夕食前にホテルのプールで泳ぐ事が出来た−気持ちイイ−
(泊)Richmond hotel
今日で旅も半分経過、旅は半分過ぎると残りはアッと言う間に終わる。
人間の一生とよく似ている。
8/19(木)今日はコンヤからカッパドキアへ
植生が変わってきた。オリーブからポプラ、葡萄、とうもろこしへ。
このあたりの豊富な地下水を汲み上げ散布しているので、山は禿げ山だが、平地は緑が豊か。
コンヤ:セルジュク時代のシルクロードの終点。
メブラーナ教団で知られる。踊る宗教団体。
この教えは「あなたが外から見えるのとおなじようになるか、または内面と同じように
見えるようになるか、どちらかになりなさい」
同じイスラムでも恵まれた地域ならではの緩い戒律と考え方
ここは革製品が有名でデザインはイタリア風、色彩も豊か
ファッションショーを見て気に入ったものを探す。
昼食後シルクロードを通りカッパドキアへ
道は車が少ない。トラックは目立つが乗用車はほとんど見かけない。
これは、トルコ人はまず家を建ててからでないと車は買わないから。
カッパドキア:この日はウチヒサールと、台地に登っては落日にワインで乾杯!
今日の行程8時間半−疲れました。(泊)Festival Kapadokya
8/20(金)ギョレメ野外博物館や地下80Mのカイマクル地下都市
このあたりは比較的新しい凝灰岩と砂岩から成っている非常に柔らかい地層である。
簡単に掘り崩せ、家として住んでいた。
地層はほぼ水平なので、堅い砂岩層を屋根や床とし、柔らかい凝灰岩層を掘り崩せば
簡単に家が出来てしまうのです。
地下都市はなんと涼しいこと。最初はクーラーがあるものと思いました。
冬は非常に暖かいそうです。
ここはキリスト教徒が回教徒を避け、住んでいた所。
午後からトウズ湖(2番目の大きさの塩湖だが深さは2M程しかない)を経て首都アンカラに向かう。
夕方便はまだ地震の影響からか、1時間以上遅れ、懐かしのイッスタンブールへ
1泊目と同じホテルに着いたのは0時を廻っていました。
アンカラまでの行程4時間半
8/21(土)今日はグランバザールで買い物とボスポラスクルーズ
グランバザールはゆっくり値切っている時間も無く、気のいい店のおじさんから刺繍入りの
シャツを値切り取ったようになり、申し訳ありませんでした。(もっともあとで大きすぎた
ことに気付くのですが)
そして最後のボスポラスクルーズへ
100人以上は乗れるでしょうか。
みんなでオープンデッキに座り、ブルーモスクやトプカプ宮殿を海から眺め、ビールや
RAKI酒(水で50:50で割ると白く濁る)で乾杯。
海峡大橋(第一、第二)をくぐり、黒海の手前でトルコ最後の昼食をとる。
夕TK151便にて成田に向かう。
8/22(日)10:45成田着
今回もいい旅ができました。感謝!
25日から中国は桂林とシルクロード東の玄関/西安に向かいます。
考察1.シルクロードの西の端になりますが、新彊(中国西部)や中近東と比べ、気候条件は
はるかに恵まれている。特にその豊富な地下水(地下水脈となって流れる石灰岩層の存在)
そのせいか、回教国ながらはるかに緩い戒律。
2.ヘレニズム以降の数々の遺跡が存在するが、思ったより少ない全盛時ローマの遺跡。
それにしてもなんという発掘・復元の遅さ
3.地中海の存在なしでは考えられない数々の文明
地中海が無かったらこの地域は砂漠化しただろうし、
ボスポラス、ダーダネルス、ジブラルタル海峡がなかったらカスピ海(海抜-1000m)か
死海、あるいはタクラマカン砂漠のようになっているだろう。
地図上でみればこの広大な海に流れ込む河川は、ナイル、ポー、ローヌぐらいしか
無いのであり、アルプスを除けば周りはすべて砂漠である。
なおボスポラス、ダーダネルスの成因はこの地域の隆起に勝った海流の浸食作用と
考えられる。でなければこれほど細くて長い海峡の存在は考えられない。
いわゆる「先行河川」の海版である。
4.都市(文明)の衰退は、気候条件の変化(乾燥・砂漠化)に加え海岸線の後退
(土地の隆起か海水そのものの減少)が考えられる。
5.2泊目の深夜3時頃、チャナッカレで地震に遭遇、長い初期微動(遠隔地ということ)
とそれにしては大きな揺れから、大地震の予感がしました。
バスから建築中の建物が見えるのですが、鉄骨など使わず、細い鉄筋とコンクリートの
か細い柱と壁ブロックだけで次々と五階以上の建物が造られているのです。
大災害になってしまいました。
6.食事は、誰にも食べやすいが、これぞトルコ料理といったものはカバブを除き
食べませんでした。
7.土産の買い物には、米1$は必需
8.とても親日的なトルコ、遠くて近いトルコ、もっと我々から近づいてみませんか。
景気回復法(7/8)
これは外部に期待しても、世の中が悪いといっても良くなりません。
1人1人の考え方と行動が重要です。
その順序(サイクル)は以下のようになります。
1.己の実績を上げる。(自分の能力・気力を上げることが必要です。)
2.会社の実績が上がる。
3.給料が増え、雇用が増す。
4.消費を増やす。(よく遊び、よく学ぶ)
5.社会全体の景気が良くなる。
以上をサイクルさせるさせることです。
ここで重要なのが1と4で、それを自分の意志で行うことです。
今回はあまりきれいな話ではないので、興味のない方はとばして下さい。
いわゆるお尻の洗浄器−なんというありがたいものを一体誰が考えて創ってくれたのでしょう?
私はもうこれなしには生きられません。永いこと小生,「痔」の疼きに悩まさ続けておりました。
ただ中近東を旅行している時、ご存じと思いますが、大を処理するとき、紙は使わず、
空き缶に水を入れて持っていき、左手で洗い流すわけです。(食事に左手を絶対使わない理由)
この時の効果はてきめんでした。1月ほど旅行している間に「痔」は完治してしまったのです。
その後、ありがたいことにこんなものが出来てしまいました。
これはまさに発明です。もし日本人が考えたものなら、カラオケに匹敵する快挙です。
以下の副次的効果が確認済みですので、心あたりのある方には、ぜひお薦めです。
1.圧倒的に「痔」に効く。
2.便秘に効く。水流の適度な刺激でさらなる便意をもよおすので、宿便無し。
3.パンツが汚れない。
4.トイレットペーパーの使用量が減るので、貴重な森林資源の保護に役立つ。
どうですか。きれいなお尻はスキですか?
4/27-5/6 中国研修(北京/西安/杭州/上海)
4/27 CA(中国国際航空)にて直行
北京空港へ
着いた空港は雨、TAXIに行列ができており順番で乗ったTAXIは運悪くメーターが無い。
困った。予備知識が無く料金をいくらで交渉すべきか分からない。
150-200元(1元=15円)と踏み、交渉に備える。
北京は市街地までの高速道路がよく整備され、周りもよく植林され気持ちがいい。
さて約50分は走っただろうか。目的の天橋飯店に到着。
運転手は280元と言って来た。これは200元で妥結。あとでホテルフロントで確認すると
140-150元とのこと。なるほど倍ぐらいにふっかけてくるらしい。
このホテルは、かつてサッポロビールが経営に参加していたせいで,日本風居酒屋もあるが,
サービスはイマイチで部屋は狭いが,なにせ宿泊代が安い。
4/28 今日は万里の長城と明の十三陵の見学。
足はTAXIも考えたが、距離もあるので現地CITS社の定期観光バスに乗る。
客は15人程、ほとんど米国やヨーロッパ人で日本からは私と大阪から1人。
ガイドは英語であるが、日本語の通訳も乗っているのはラッキー。
日本で申し込めば9-10000円、現地だと5-6000円程。行程約10時間昼食付き
内容はガイドブック参照してもらいたい。
夜は王府井の屋台で。これはすごい。巾たった1メートル程の屋台が100軒ほどは
連なっているだろうか、それぞれが得意な料理を並べている。バーベキュウ、餃子、春巻、
なんだか得体の知れないものを含め何でもあり。「麺」と言ったらうどんに味噌たれのような
ものを乗っけて持ってきた。
スープがないんだよ。スープが。こちらには日本風のラーメンはまずありません。
それにしてもこちらの人間はよく働くし、またよく食う。
4/29 出発便を考えると2時間ほどしかない。効率よく廻りたい。
まず天安門は素通りし、ラストエンペラーの生わした「故宮」である。
午門でTAXIを降り(15分,50元)、内部に入る。
これがあの紫禁城なのか。なんという雄大な。瓦は皇帝の黄色、九匹の龍が登っていく。
神武門を抜け1時間で切り上げ,渋滞の中を一度ホテルに戻り、荷物を持って一路空港へ。
今回はしっかりと110元で交渉。
北京空港はINTERNATIONALはガラガラの田舎空港だが、DOMESTICはすごい。
外国人も中国人もワンサといる。check-inが済んでも出発の20分前までゲートNOが
決まらないほど。あわてるなって。時間はたっぷりあるのよ。今回は。
13:30CAのフライトは超満員。周りを米国からの80人の団体に取り囲まれている。
この団体、コースも、日程も私とおんなじや。疲れそう。
16:30西安着、ここで友人と会うことになっている。先方が私を迎える手はずだが,
どうやら私の方が20分ほど先に着いたらしい。1ケ月ぶりの再会である。
TAXIで西安賓館へ、50分150元、料金交渉は友人(中国人)に任せる。
こちらはすべて交渉です。交渉は疲れが貯まらないようすばやくまとめることが肝心。
夕食は名物の餃子です。北京の王府井では水餃子が多かったが、ここでは蒸餃子の
オンパレード。50元を2人で食いきれなかったのが情けない。
飲んで食って2人で150元。驚くほど安い。
4/30 TAXIを1日360元で交渉。まずは兵馬ようこう−これらの陶器製の人馬は中世ヨーロッパの
絵画同様、きれいに彩色されていたに違いない。これが2000年以上も前の事だとなると
なんと畏ろしいことにちがいない。
そして御大、始皇帝陵へ。
これは山である。しかも盛り土で創られた山なのである。どこに遺体が安置されている
のだろうか?そんなこと分かるはずもない。
次に玄宋皇帝が楊貴妃と愛の生活を過ごした華清池、西安事件で蒋介石が捕えられた
場所でもある。
先を急ごう。次に三蔵法師がインドから持ち帰った数々の仏典を収めた大雁塔。
ここで友人はお気に入りのレイバンのサングラスを失くし御立腹である。
今日は早めに切り上げよう。ホテルに戻りシャワーを浴びて屋台に繰り出す。
どのあたりかよく分からない。街の西の方角である。
しかしさすがに西安までくると西域の臭いがぷんぷんします。このたまらない懐かしい臭い。喧噪。
シシカバブを皿の上に山積みにしてビールで流し込む爽快さ。
なつかしきアフガンやパキスタンの味。
5/1友人は田舎に帰るため朝出発。
午後より青龍寺へ、あいにく道路が工事中でタクシーを降り、麦畑を歩いて突っ切ることになる。
ここは空海が修行していた所である。その師アジャリと共に像が祀られている。
庭の芝生に座し,暫し瞑想。心地よい風。1000年前と変わらぬ空気。
歴史と城壁と埃の街,西安。シルクロードの起点−そうだ。西の城門に入ってみよう。
ここのTAXIは、小型で初乗りは6元である。ということは物価は北京の6割程か?
西の城門−シルクロードの起点。
あの三蔵法師もここからインドに向かったのだ。またマルコポーロもここから入ってきた
にちがいない。
さて昼飯は再び餃子に挑戦。街の中心、「鐘楼」の見える徳發長餃子店。
あいにく2階は満席で1階の一般席で水餃子を注文。あいかわらず冷たいビールがない。
餃子は一皿には26個も入っている。半分にしてもらい3種類(12元)を食す。
5/2 西安空港。飛行機は少し遅れそうである。
喫茶室に入り、アイスコーヒーを注文したらホットコーヒーに氷を入れて持ってきた。(10元)
とにかく冷たいものは飲まないのである。もっともコーヒー自体ほとんど飲まないし、
おいしいコーヒーもめったにない。(名誉のため 上海/真鍋のはおいしい)
椰子の缶ジュース(ナパ)あたりが正解かもしれない。
隣ではカップラーメンをすすっている。
目の前のおばあちゃんの携帯電話が鳴り出したのには少々驚かされた。
CA機内はやはりほとんどが外国人。北京からの米国人ご一行も乗っているようだ。
13:00上海着。なつかしの街,上海。少しほっとする。
TAXIを飛ばし、上海駅のすぐ隣りの龍門賓館へ。
古い三ツ星のホテル。ほとんど中国の人が多く使っているようだ。ここも安い。
駅まで歩いて数分。
日本では駅前が一等地だがここは田舎から出てきて、仕事も泊まる所もない人たちが
ゴロゴロしている。典型的な下町風情である。
とりあえず駅前の空気を吸いに行き、サッポロの瓶ビール(3.5元)と皮も中身も黄色い西瓜を
買って部屋の冷蔵庫へ。これは色からして皇帝のスイカだろうか?
確かミネラルウオーターが4元だからビールのほうが安い。
しかしこちらの水はまずくて飲めぬ。(もっとも飲まない方が安全だが)
5/3 駅前のジャスコでフィルムを現像する。13時頃できるというので、それまで「魯迅公園」
でも行ってみよう。
しかしなんでこうも人が多いのか?
TAXIの運ちゃんに聞くとどうも今日は休日らしい。まだメーデーか、はたまたその代休か?
公園の一番奥まった所に魯迅の像、その後ろに毛沢東直筆の金文字が彫られている。
ジャスコに戻り写真を受け取る。36と24枚2本で43元。
ここの3階はいわゆるファミリーレストランで「SHALON」といったか。カツカレーを食う。(35元)
中華や屋台に飽きたらここもいい。しかし周りはみんな1人50-60元は飲み食いしているようだ。
1階の隣はマクドナルド、セットで17元。
上海の駅前では、わりときれいな女の子がお茶を飲みませんか?と声をかけてくる。
スワ、俺もモテるようになったのかと思いきや,これはその手の女なのでしょう。
よくみるとどうも6−7人のグループで動いているようだ。
「わたし中国語わからない」というとあきらめて帰っていく。
ちなみにいくら?と聞くと1万円だと。
5/4 そういえば今日も朝6時をすこしすぎた頃、部屋に電話がかかってくる。
マッサージは要りませんか?
値段を聞くと600元という。北京からズーッとこれである。どうも独り旅の男の部屋には
かかってくるものらしい。
しかし絶妙のタイミングではある。朝まだきのそんな頃電話が鳴るのである。
マッサージだけならいくら?これは200元とのこと。念のため。
地鉄(地下鉄/3元)でわい海路へ。太平洋百貨店でいろいろ物色してみたが、ワイシャツや
その他あまり日本と値段が変わらないように思える。
ほんとうにこの国は物価が高いのか安いのか,なかなかわからない。
その後,外灘へ。
黒のミニスカートが似合う美人が1人、さっきから河を見つめている。
今日までずっといい天気。さわやかな河風が彼女の長い黒髪を揺らしている。
河の向こうは最近開発中の浦東地区。浦東タワーや高層ビル群が建設中である。
声をかけてみる。12時に彼と待ち会わせとの事。
少々の英語と中国語で30分ほど話す。夕方電話をしたら、ルームメイトと2人で住んでおり、
同宿人は岩手県で働いていたということで日本語をカタコト話す。
みんなで夕食でもと誘ってみたが今日はもう済みました,と。
時間が無いのが残念。でも又会えるような気がするのが不思議。
5/5 特急電車にて杭州へ。こちらの電車は超安い。
ただし、帰りの切符は現地に行かないと買えないのが難点。一体座れなかったらどうすんの?
この街はマルコポーロが「世界で最も美しく華やかな土地」と讃えた所。
霊隠寺をはじめ観るところは腐るほどある。しかし旅も今日が最後。明日は午前便で
帰らねばならない。観光地巡りはやめにして、西湖々畔の誰もいないレストラン最上階で
午後から2時間ほど悠久の時を過ごす。至福の時間。
特急2時間で上海に戻る。
急いでシャワーを浴び、西郊賓館へTAXIを飛ばす。約束まであまり時間が無い。
運ちゃんに急いでもらって少々遅れ気味ながら到着。飛ばした分チップを請求されたが、
こんなチップなら喜んで払いたい。
ここはあまり知られていないが、その敷地の広さや登小平などの賓客が来る格式のある
ホテルであるらしい。
ひと月ぶりの友人と薬膳料理を食す。2人で460元。味は,覚えてない。
ほんとうに楽しかった今回最後の晩餐。
明日はCA午前便で日本に帰ります。中国とその友人たちに感謝。
再見!中国&我的朋友。
旅遊人(5/14)
さて皆さんは「air on」で旅行しているとき,しっかりとrecomfirm(72時間前までの再確認)
をしてますか?
普段はあまり気にも留めないで済んでしまっている場合が多いと思いますが、
ここでしっかりとrecomfirmしておきましょう。
これはcarrier(飛行機会社)やdestinationによって必要/不必要が言われるわけですが
概して発展途上国の場合は、まずoverbookingしていると考えたほうが良さそうです。
したがって長期(4日以上)の場合、特に混雑時はrecomfirmしたほうがまちがいありません。
carrierはrecomfirmしないことを理由に自らの責任(=overbooking)を回避するのです。
これに遭遇した(しそうな)場合どうするか。
1.早めにカウンターでcheck-inする。
2.座席がなければ、キャンセル待ちで名前を登録してもらう。
3.businessやfirst クラスへ早めにupgradeする。これはcarrierにも責任があるわけだから
近くなら以外に安い場合もある。
旅遊人
それならば当社の「パッケージツアー割引」をうまく利用した方が
賢明かもしれません。旅行の内容は各自が自分で考え、決めていくことで
旅行会社にそこまで任せる必要なんて全くないのですから。
また旅行会社も、新規の企画をそんなにドンドンと出せません。
それは百人が百人希望が違ってきているのですから仕方のないことなのです。
ほんとうに面白い旅行は自分で創っていくしかありません。
21世紀はそういう旅行の時代です。 遊人旅行
カッコつけないで欲しい。
学生と違って社会にでて評価される基準は、仕事、実績だという事。
他になにがあるっていうの。
何もしないで、何のミスもない人間より、
トライして、失敗してそこからはい上がっていく者のほうがはるかに魅力的だ。
会社や上司に文句を言ってるだけでは、成長はしない。
こんな者ほど会社にしがみついて生きていくしかない連中だ。
自分が今まで何をやってきたか、今何をやっているか考えてみよう。
本当に自分が何にトライしてきたのか、モノマネ意外に何を創造しているのか。
今すぐ自分の腕と頭で生きていけるよう、ギアチェンジしよう。
我々もこんな人間と仕事がしたい。 3/28
体験キロロスキー(当社推薦スキーツアー) 2/11山好キー人
2/7、7:55発ANA55便羽田発
千歳空港着後「雪祭り見学」のためJRにて札幌へ(通常はバスにてスキー場へ直行)、
[祭り」は例年通り、特に感激は無し。ラーメン横町で昼食−相変わらず混んでいる−
その後JRで小樽へ、後バスに乗り換えキロロスキー場へ (泊)ホテルピアノ
2/8-9、終日スキー:ゲレンデは狭くなく広くなく、斜面は(北海道にほぼ共通することですが)
緩めだが長いコースが取れる(ゴンドラは3.3KM)。ここの一番の特徴は雪の多いこと。
とにかく1,2月はよく降り、新雪好きにはたまらない条件に出くわす場合がある。
モーグル専用バーンや、オフピステ(整備外バーン)を持つ。
ホテルは温泉やプール、ゲームセンターなどなんでもあり。カップルには一番人気とか。
かにやイクラなど食べ放題バイキング\3500、スキーがメインの方は隣のマウンテンホテルが
ゲレンデ隣接のため便利。共に運営はヤマハグループです。予算の無い方はヴィレッジピコロ
(3日AIR&ホテル:\19800から)がある。
2/10、午前中フリー
15:35 送迎バスにて空港へ(約2時間)
到着後荷物を預け(1個\1000で自宅まで送ってくれる)、3階で食事、2階で買い物
を済ませ(2時間欲しい)、ANA70便(19:40-21:10)にて羽田無事帰着。
ここは雪が多いため、ゴールデンウイークまでは滑れそう。吹雪いているのが苦手な人は
3月以降がお薦めです。なおレンタルスキーは1日\1000で予約も出来ます。(送るより安い)
私見ですが、北海道にスキーに行くにはどこがよいか。ゲレンデ中心に考えると
1.ニセコ(広い、羊蹄山が目の前 ヒラフ、アンヌプリ、東山等が山上で繋がる。遠い)
2.フラノ(雪質がよい、旭川空港を使うとゲレンデが近い。雪面みがき過ぎ)
3.ルスツ(広い、コースが緩めで長い、ちなみに当社のホームゲレンデです)
4.キロロ(雪が多い、新雪向け、春スキーはおすすめ、温泉あり、やや狭い、緩い)
5.札幌国際(温泉付き、宿泊も温泉ホテルならではのもの 空港・札幌から近い)
なおトマムは行ったことがありませんので省きます。
私も今シーズンまた来ます。
泊は食に付随する? 1/10 遊裕人
かつて、アフガニスタンなど中近東を旅行していたとき、飯を食えばタダで泊まれたモノでした。
長時間旅してまずは空腹を満たしたくなりますが、当然どこかで泊まらなくてはなりません。
飯は料理することで付加価値を生むので、泊は付録でよかったのです。
その名残りが、中国の”大飯店”です。ホテルを大飯店というのです。泊まる所というより
食べるところだったのです。
イスラムの世界では年に一度、日の出から日没まで飲まず・食わずの時期を過ごします。
もちろん飲まず・食わずで一月いれば死んでしまいますので、夜はOKです。
なぜこういう習慣があるかといえば、仏教が比較的自然に恵まれ、衣食住にさほど困らない
地域に広まったのに対し、イスラムのそれは砂漠の宗教であるからです。
当然ながら厳しい生存環境下で、食べられない時期に備え、厳しい戒律で節制する時期をもうけて
いるのです。
私もスペインからジブラルタル海峡を越え、モロッコに入った途端に遭遇し、その異様な雰囲気
にビックリした経験があります。
なんか変なのです。街には人通りがなく、レストランも閉まっている。しょうがない。
バナナをかじって食いつなぎ、困り果てた末、スペインの留学生仲間を訪ねて初めて「ラマダン」
というモノを知った次第です。
友人は,おまえは外国人だし宗教も違うからといって、腹一杯飯を食わしてくれたものでした。
モスリムの世界はあまり我々日本人には馴染みがないだけに、本当に面白く、興味津々の世界ですが、
目には目を! 片手にコーラン片手に剣を!の世界です。
女性の顔を観ていたら、靴を脱いで殴りかかってくる(男は女の顔を観ては行けない、女は男に
顔を観られては行けない)世界でもありますので、旅行の際はくれぐれもご用心、ご用心。
買い物考(1)11/22
海外旅行での買い物時には、値切りのテクニックが必要になります。その第一歩は買う個数を
増やすことによって値段を交渉することです。例えば1個100円のモノを2個買うことによって
2個で160円にすること。これがOKなら半額にするには5-6個も買えばいいでしょうか。
ただ行き過ぎると不必要なモノを10個も買わされる(?)ことになるのでご注意!
さて良い買い物とはどんなことでしょう?
たとえ7割引に値切れたとしてもよい買い物をしたとは限りません。
そもそもモノの価値は、「口紅」などでわかるようにその原価は1割もありません。
我々はモノ自体を買っているわけではなく、それに付随する付加価値も買っているわけです。つまり
口紅の例でいえば、美しくなるという期待感や満足心を女性はその10倍もの金を払って買うわけです。
もちろん価値観は人によって違うわけですから、同じモノでも人によっては高いものが、
他の人には安く感じるわけです。
すぐ飽きてしまうモノや棚の奥にしまい込んでしまうモノ−良い買い物ではありません。
自分にとって本当に価値のあるモノ、愛用できるモノ−これなら少々高くても値切れなくても
いいのです。その場合は、モスリムの世界でいうバクシーシと割り切りましょう。
こう考えるとモノの価値が分かってきますし、いくらで交渉すべきかも分かってきます。
こうなれば買い物自体が非常に楽しいものとなります。
再び東洋医学研修ツアー(11/20)
10月に引き続き,今回も上海中医薬大学に研修です。(11/8-15の8日間)
対象は整体の専門学院の生徒さん達32人です。
今回は特に解剖(人体解剖実習)や薬膳講習を加えて実施いたしました。
観光では、黄浦江のナイトクルーズや蘇州の留園を加えました。
学生さんには,特に人体解剖とナイトクルーズが印象に残ったようです。
また今回は大いにショッピングも楽しみました。
ヒスイ、象牙の印鑑、チャイナドレス、絹の下着、両面刺繍etc.
ちょうど今回は、この大学にTBSの「世界・不思議発見!」の取材が入り、
11/21(土)に放映され、この大学が中国における漢方や気功研究ののメッカである
ことが紹介されました。
引き続き、来年も数回の研修を実施いたします。
整体やカイロの専門学校関係はの方には、ぜひお薦めします。木村
東洋医学研修ツアー報告(10/23)
今回は実際に整体やカイロの診療所を開設している方々を対象として、上海中医薬大学へ
5日間の東洋医学概論の受講と医療研修・トレーニング,及び上海・蘇州観光に行って参りました。
日 程:10月11(日)-18日(日)8日間
参加人員:21名+添乗1
使用ホテル:建工錦江大酒店(3星、大学近く)
スケジュール:
第1日 | JAL791便にて上海へ、到着後専用バスにて上海市内観光「豫園、外灘」 |
2 | 研修(1)入学式、参観医史館・中薬標本室見学(2)中医学概論 大学主催晩餐会 |
3 | (3)推拿体験と実技 (4)推拿概論 |
4 | (5)続、推拿体験と実技 (6)推拿美容 雑技団観賞 |
5 | (7)上海市第一人民病院見学 (8)解剖 |
6 | (9)気功研究所にて講習 (10)同 実演 |
7 | 終日 蘇州観光「虎丘、寒山寺、拙政園」 打上げパーテイ |
8 | 上海市内観光「玉仏寺」及びショッピング、JAL792便にて帰国 |
全員には写真付きの修了証が大学から手渡されました。
参加者の感想は、体系的な講習が受けられ、実に有意義だったということです。
次回のツアーは、整体師、カイロプラクテイック師を目指す学生32名で
11月8日から8日間にわたり実施いたします。
整体師やカイロプラクテイック師は、鍼灸マッサージ師と違い国家資格はありません。
ぜひ本場の系統だった講習を受けることをお薦めします。
上海中医薬大学は、東洋医学においては中国の中でもトップクラスの国立大学です。
なお「じゃなーる」では、8名以上の参加者があればいつでも催行いたします。
研修や観光の内容やいかにでもアレンジ可能です。
しかし今回の円高は大いにありがたいものでした。
行く前は\10000=600元だったものが、毎日上がっていき697元までになりました。
中国内における為替レートは、銀行でも、空港でも、ホテルでもほとんど変わりません。
ですから時間的には無駄のないホテルで換えればよいのです。
また今回利用したホテルにはビジネスセンターがあり、FAXやインターネットも使えます。
その他、フィットネスセンター、サウナ、カラオケ、マッサージ有りで大変便利です。
TAXIは初乗り10元と安くなりました。
神秘の湖「バンデイ・アミール」−アフガニスタンを訪ねて− (10/06)
岸壁に彫られたあの巨大仏像で知られるバミアンをトラックで早朝出発、
3時間ほどで目指す「バンデイ・アミール」へ、−ついに来た−!
しかし一体ここは何なんだ?
この砂漠の中の涸れ川にそびえ立つ高さ5-7m程の連なった壁は、
よじ登ってみると何ということだ。
この満々とした澄みきった青い水。
一体砂漠のどこからこれだけの水が湧き上がって来るのというのだ。
あまりの美しさを独り占めしている不安と畏れ。
からだの平行が壊れ、湖に引き込まれそうになり、とても真下を覗けない。
地質学的には、ここはオープンな鍾乳洞の千枚皿が数枚巨大になって、峡谷に沿って
並んでいると考えられる。。上流から、bandi zol fi kal,bandi pudina, bandi
panir,
bandi hibad,bandi oraman,bandi kanbarと続く。
浅いのはグリーンに、深いのは濃い藍色、大きいのもあるし、底が見えない程深いのもある。
宿に帰るとランプの調子が悪いとテントホテルの主人(子供である)が修理にかかりきり。
途中魚影が見えたので、針に糸をつけ、パンくずを練って釣りに行く。
マスの一種だろう。7−8匹をたちまち釣りあげる。
宿に戻ると主人はまだ修理に熱中している。
しょうがない。暗くなってきたので、一緒に泊まることになりそうな
ドイツ人やオーストラリア人と釣ってきた魚を焼いて食う。
どうやらこれが今日の晩飯となるらしい。
この川の水で煎れたお茶が実に旨い。本物のミネラルウオーター
それは、少年(ガキ)の頃からあこがれていた砂漠の奥の一番奥の湖
ただしこれはもう20年以上も前の話。
今も夢に見るアフガンの砂漠の彼方−神秘の湖「バンデイ・アミール」
今は紛争で行けないがもう一度行ってみたい。
猿岩石より20-30年も前にシルクロードを歩いていたいろんな国の旅人が一ぱいいた。
岸壁に彫られたあの巨大仏像で知られるバミアンをトラックで早朝出発、
3時間ほどで目指す「バンデイ・アミール」へ、−ついに来た−!
しかし一体ここは何なんだ?
この砂漠の中の涸れ川にそびえ立つ高さ5-7m程の連なった壁は、
よじ登ってみると何ということだ。
この満々とした澄みきった青い水。
一体砂漠のどこからこれだけの水が湧き上がって来るのというのだ。
あまりの美しさを独り占めしている不安と畏れ。
からだの平行が壊れ、湖に引き込まれそうになり、とても真下を覗けない。
地質学的には、ここはオープンな鍾乳洞の千枚皿が数枚巨大になって、峡谷に沿って
並んでいると考えられる。。上流から、bandi zol fi kal,bandi pudina, bandi
panir,
bandi hibad,bandi oraman,bandi kanbarと続く。
浅いのはグリーンに、深いのは濃い藍色、大きいのもあるし、底が見えない程深いのもある。
宿に帰るとランプの調子が悪いとテントホテルの主人(子供である)が修理にかかりきり。
途中魚影が見えたので、針に糸をつけ、パンくずを練って釣りに行く。
マスの一種だろう。7−8匹をたちまち釣りあげる。
宿に戻ると主人はまだ修理に熱中している。
しょうがない。暗くなってきたので、一緒に泊まることになりそうな
ドイツ人やオーストラリア人と釣ってきた魚を焼いて食う。
どうやらこれが今日の晩飯となるらしい。
この川の水で煎れたお茶が実に旨い。本物のミネラルウオーター
それは、少年(ガキ)の頃からあこがれていた砂漠の奥の一番奥の湖
ただしこれはもう20年以上も前の話。
今も夢に見るアフガンの砂漠の彼方−神秘の湖「バンデイ・アミール」
今は紛争で行けないがもう一度行ってみたい。
猿岩石より20-30年も前にシルクロードを歩いていたいろんな国の旅人が一ぱいいた。
資格挑戦−中小企業診断士(情報1次試験まで)9/17
全く長い道のりでした。確かもう5回目の挑戦だったハズです。以下奮戦記
1回目:バブルが弾けて,なんか勉強しなければと思ったことがきっかけとなりました。
「情報基礎(特にBASIC)」,POS等がまったくわからず(多分平均30点)で不合格。
2回目:再びだらだらと続いて不合格(多分平均35点)。相変わらず、情報基礎、労務、
財務等まったく歯が立たず。
3回目:今回は情報基礎克服のため、システムアドミニストレータをまず受験、合格。そして本番に臨むが
「財務」に歯が立たず不合格(多分平均50点)。財務克服のため簿記3級受験、合格。
4回目:ついに資格学校に通うことにする。しかし旅行中大けがをし5−6月入院・病院通い。
再度「財務」で40点取れず不合格(多分平均60点)に加え再入院。全く俺の人生そのもの。
5回目:最後の気力を振り絞って受験。ギリギリか採点間違いかで、とにかく合格。
そりゃあ、5年もやってりゃ、受ける気力さえあれば合格するよ。
まだ2次試験、3次試験が待っているけど、とりあえず今年はパス。
来年頑張ろう。
教訓 20代の時間は30代の倍の長さがある。
40代のそれは30代の半分しかない。
早めに始めよう。何事も。 木村 記
温泉を簡単に定義すると、一定以上の成分を含む25度C以上の湧水,となります。
その成分には、Ca,Na,Fe,硫黄や石膏分や水素イオン、なかにはラジウムやラドン等の放射性
元素等なんでもあり−それが一定以上の割合で含まれれば日本政府公認の「温泉」として
認められます。
温泉というと火山地帯にあるものと思いがちですが,そうとは限りません。
火山とは縁のない東京23区の下にも立派な温泉がいくつもあるのですよ。
それでは地下の温度(地温)はどうなっているのでしょう?
それは深くなればなるほど上昇していきます。一律にいうことは出来ませんが、火山地帯なら
100m地下にいくほど3−7度、関東平野でさえ1−3度は上昇します。
つまり前者で500m程,後者でも1000-1500mも掘ったところから水が出てくれば、成分的には
何かは含まれると考えられるのでそれはもうりっぱな「温泉」です。
どうです。ひとつ余裕があれば自宅の庭で自前の温泉でも掘ってみては!
参考までに関東平野(第三・四紀層)だと掘削料1000mあたり1500万ほどですが。
お申し込みは、「じゃなーる」温泉掘削部まで
重要なのは成分なのですが、そのうち温泉(2)として、北投石で知られる玉川温泉や
台北の北投温泉を紹介したいですね。
8/28記(木村)
”幻の超古代帝国アスカ” -8/08−
これはあのノストラダムスを紹介した五島 勉氏の説であり、そのエッセンスのみを
紹介することに致します。
かつてウェゲナーが地球儀を観ていて、大西洋の両大陸(南米とアフリカ)の海岸線があまりにも
似ていることに気づき、そこから大陸漂移説が生まれ、地球物理学の発展からそれが証明されて
いったように、氏は地球上の地名に同じような名前が連なって行くことに注目したのです。
それが”アスカ”です。
いくつか例をあげましょう。
飛鳥、アラスカ(AL+ASKA),SASCACHEWAN(カナダ)、TABASCO(メキシコ)、PASCO,CUSKO
NASKA(地上絵で有名)、DAMASCAS,AZEKA,,MUSCAT(中近東),KUSHUKA,MOSKVA(ロシア)
RASKA(ユーゴ),TOSUKANA,RASCO(壁画で有名),SCOTLAND、ASCOT(ストーンヘジで有名)
ASCO、BASC(ヨーロッパの真ん中にアジア人の住む地区),(以上欧州),アショカ王等等
みなさんは、これらの中に古代遺跡や南アジアの臭いをプンプンと感じますか?
さてこれらの地名を辿っていくと、インド国オリッサ州のASKAに到達します。
そこはまるで日本の奈良の飛鳥と地形、気候、風土、住民の顔つきまでソックリ。NARAという
地名まである。
話があまり長くならないように氏の結論。
時代は約1万数千年前、南インドASKAを中心に超古代文明が栄えていた。それはまるでASKAの
示す意味の通り、気候にめぐまれた理想郷(ユートピア)であった。
ある時、特異な環境の変化で住めなくなった住民は世界各地に散っていく。
そこで故郷と似た場所を見つけるとASKAという地名をつけていった。
ちなみに地上絵で有名なNASKAは(NO+ASKA)で、ASKAとは以て非なるところ、砂漠である。
その後”神々の指紋”等いろいろな本が出てきますが
私にも約1万年−1万数千年前、全世界に繋がっていく共通の文明の臭いが強烈に感じられます。
NON BOOK/幻の超古代帝国アスカ(祥伝社)より −8/08木村−
今回は私たちの住んでいる地球のことを考えてみましょう。 -7/18−
ご存じのように地球は太陽に対する公転面から23.6度程傾いています。
このことから北半球では夏至の日(6月23日頃)に太陽の高度は最大になります。
(東京だと90-36+23.6=77.6度に来る)
つまり直射日光が一番強くなり、昼時間が一番長くなる日−それが夏至なのです。
地球には比熱の大きい水分が大量にあるため実際の気温は約1-1.5ケ月後にピークとなりますが、
本来はもっともっと6月は暑いのです。
日本では梅雨があるため以外と気付かないのですが、梅雨はシャワーとなって日本を
冷やしてくれているのでもっと感謝しなくてはなりません。
さてこの傾きが地球における気候のあり方、さらには地球の文明を決定づけてきた
といえば驚かれるでしょうか?
一例をあげれば台風はなぜ発生するのでしょう?
夏至以降太陽は南下してしまい,N23.6度あたりまでに貯まりすぎた熱エネルギーの
格差は最大となります。そこでその格差をを一気に解消するため,最も効率的な方法として
誕生するのが台風と考えられます。
もちろん通常は偏西風や貿易風やもろもろの風が吹いてその役目を果たしているのですが。
「丸い,回転する,傾いた,風,水」−これらは地球を考えるキーワードです。
文明はどうでしょう。
世界の四大文明は、共通して周りが砂漠,そこに満々と水をたたえた大河が1本流れています。
別に文明が砂漠に生まれる必然性はありません。
これは以下のように考えると納得がいきます。
エジプトを考えてみましょう。
北アフリカはかつて天候に恵まれ、緑生い茂る緑地帯であったことが、サハラ砂漠等の
遺跡から分かっています。
つまり恵まれた北アフリカ一帯に,さまざまな小文明があちこちで起こっていたものが、
その後の地球規模の気候変化により砂漠化が始まったと考えられます。
あちこちに起こっていた小文明はやがて水を求めてナイル河畔に集まってくる。
そこで小文明の融合が起こり、エジプト大文明となっていくんだと。
では砂漠化はなぜ起こる?
当然ですが雨が降らないからです。
マクロ的にいえば,雨が降るための条件は湿った空気と上昇気流です。
赤道付近でたっぷり水分を吸収した空気は暖められ、上昇し、冷やされ、雨を降らし、そして
乾燥した空気となって北(南)緯23.6度付近に下降気流となって降りてくるわけですから、
雨の降りようがありません。その緯度付近は砂漠化します。
もっとも地球では大陸を移動させるほど地殻は動き、地軸は地球の傾きで常に揺れているの
ですから数十万年から数百万年のオーダーで考えればこの程度の気候の変化などなんら
不思議なことではありません。
シベリアもマンモスが繁殖するほど暖かかったし、わずか1万4000年前まで氷河期だった。
もっと長いオーダーで考えれば南極の氷の下には石炭も眠っているわけですから。
氷が溶ければ、それこそ南極から地球最古の遺跡さえ出てきても不思議ではありません。
現在の地球の姿は、長い宇宙での旅の一時的なものと考えなくてはなりません。
北極も、南極も、赤道も大陸の形も山も、砂漠も仮の姿です。
それはこれからもすこしづつ変わっていきます。
地球の環境保護が必要な理由がここにあります。
地球上には風は常に吹いており、それは熱エネルギーを運ぶだけでなく、雨を降らせ、
文明を創り、又それを運んでいったのです。 (7/18木村)
サッカー考
W杯チケットの入手が大変問題になっています。
どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
これはひとえに危機管理の甘さが原因だと思われます。今回は旅行会社に大きな責任が
あったと思いますが、一般的にどうしても日本人として考え、日本人として行動すると、
それが海外では通用しないことを肝に銘じなければなりません。
まだまだ脇が甘いことを自覚しなければなりません。
世界の思考様式や、行動様式は島国日本ほど均一・一様ではありません。
幸いにも私どもにお申し込み頂いたお客様は全員(数は少ないですが)チケットを入手し
無事出発することができました。これは前もって現地でチケットを入手したからです。
現地の友人等の情報では、この危険性をたびたび指摘していました。
チケットは手元に届くまで信用するなと。
以後この事件がきっかけで海外に出かける方が減ってしまうことが心配です。(6/13)
しかしどうして日本は一勝も出来なかったのでしょう?
私見ですが、やはり実力なのでしょう。それは監督や、選手だけでなくサポーターや
我々ファンを含めた実力です。
ちょうど日本の政治がそうであるように,日本の政治が弱いのは 政治家だけでなく
我々を含めた政治意識の低さが問題なのです。
農耕民族と狩猟民族の差も見事に出ていました。
もっと監督や選手や、サッカー協会に激しく文句を言いましょう。
もっと自分に厳しく生きましょう。
もっと世界を知るためにどんどん旅に出かけましょう。
そして地元の人ともっともっとCOMMUNICATEしましょう。 (7/1)